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戦争が残したもの

 

食堂で食べた1杯のラーメン。

私はそこで出会ったスプーンから世の中に隠れた闇と光を感じることになる。

ラオスはアメリカによって大量の爆弾を投下された。
その数は200万トン約2億7000万発とも言われ、人口1人あたりに落とされた爆弾の数は世界一である。
そのうち約30パーセントもの爆弾が不発弾として地面にとどまり、未だ多くの被害をもたらしている。

ラオス北東部に位置するシェンクワン。
ここはとくに酷い被害を被った街だ。不発弾の汚染状況地図を見ると、この街は真っ赤に染められている。

シェンクワンに大量の不発弾が残る理由には、軍事的な意味の他、アメリカが戦地に落としきれず余った爆弾を飛行機に積んだまま着陸すると自分たちにも危険が及ぶ可能性があるということで、シェンクワンの街に落とされたとも言われている。

この不発弾により今なお、小さな子供の命を奪い去ったり、農地や牧場の労働者の体の一部や命が奪い取られている。

私は、ラオス・シェンクワンを訪れ、不発弾の被害を受けた人たちに会い、取材をさせて頂いた。
そこには様々な悲しみと生きる力があった。

ある人は牧場で仕事中、不発弾により左手と左足を失い仕事が出来なくなり、建設中の家のモルタル塗りの手伝いをする。妻が外に働きに出て家計を担う。

ある人は右手を失い、農地での稲刈りが出来ず、畑に落ちていた爆弾の破片をアレンジし爆弾製の鎌を腕にはめ、稲刈りをする。

 

ここには、戦争が終わった今も罪の無い人たちが被害を受け、たくさんの悲劇が生まれている。

一方で爆弾は鉄やアルミといった貴重な資源にもなる。
拾った爆弾を売る人たち、爆弾を加工してスプーンなどを作り生計を立てる人たちなど、そこには過去の戦争で苦しめられた人々が、その爪痕の中でたくましく生活を送る姿、自分の居場所を見つけ生きていく姿に人間の力強さとしたたかさを感じる。

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